水俣曼荼羅

オンライン試写にて。2014年に最高裁が責任は国と熊本県にありと判決を下した水俣病問題。そのずっと前から「ゆきゆきて、神軍」「ニッポン国VS泉南石綿村」の原一男監督が撮影に取り組み、編集を含めて計20 年をかけた認定と補償をめぐる闘争の記録。恥ずかしながら自分ではすでに過去の大きな教訓として語り継がれていると思いこんでいたミナマタは、まだまだ終わっていなかった。。いくつも訴訟が起こされてきた中で、県も国も高裁で負ければ上告し最高裁で負けてさえ「あやまったら死ぬ」とばかりに被害者や支援者たちの怒号を浴びながらも官僚的対応に終始するさまは毎度の風景なのだろうけれどつくづく情けなく(彼らにしてみればたまたまそのタイミングでその案件の担当者だったばかりに矢面に立たされているおのれの不運に耐えつつ早くこの場からのがれたいと思っているのだろうなとかんぐりたくなる)、でも彼らに怒号をあびせる側としてもおそらく相手が頭を下げても本心からの謝罪ととらえるのはむずかしいのではと思うとやるせなく、行政が「責任を認め、謝罪し、補償すること」にこれほどまでに抵抗するものなのかという現実の苦々しさたるや。一方で訴訟まわりの映像だけでなく何人もの被害者や水俣病研究の最前線にいる医師たちの奮闘や無念、一市民としての日々の様子をカメラはたんねんに追ってもいて、そこまで立ち入った話まで聞いちゃう?と驚くような(それだけ監督が信頼を寄せられているからこその)やりとりや、酔っ払って思いのたけをぶちまける一人の医師の爆弾発言(?)にハラハラしたりも。そして2018年に亡くなった石牟礼道子さんの晩年の姿と含蓄の深いコメントにははっと胸をつかれました。ジョニデの「MINAMATA」が水俣病が世界に知られるまでを一部フィクションもまじえて描いていたのに対し本作はその後水俣病問題がどうなったかをリアルに伝えてくる、6時間を超える長さは必然だったと思える魂のドキュメンタリー。

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